毎日、テレビ、新聞をニュースが賑わしている。メディアのニュースは、中立で、正しく、事実である、と私たちは信じている。
友人どおしの会話でも、「だって、昨日、テレビで言っていたもの」と言えば、信憑性が増し、その人の言い分が正しい、と思ってしまう。
しかし、正しいことでも、ニュースで、取上げないこともある。障害者自立支援法成立 直前に、数千人の人たちが、国会を取り囲み、反対の集会を開き、シュプレヒコールを挙げたのを、ニュースで、取上げたテレビ局は、少なかった。
限られた時間の中で、何をニュースとして取上げるか、というところから、もはや、そのメディアの姿勢が問われている。障害者自立支援法に重要なニュース性を感じなかったメディアは、そのことを取上げなかった、ということだ。
ニュースは、正しいことを言っているかもしれないが、選んで、言っている。正しいことでも、言わないこともある。視聴者は、そのことを見極める必要がある。
また、言い方によって、その事実を肯定しているのか、否定・反対の意見なのかの、意思表示になる。しかし、「私たちは、賛成です」とか「反対です」という表現をしないので、わかりにくい。怒っているキャスターによって、知らず知らずに、これは悪いことだと思わされてしまう。
メディアは、なにも中立でなくても良いと思う。メディアのメディアとしての、立場を明確にし、方向性を示すことがあってもいいと思う。しかし、押しつけてはいけない。メディアの言い分だけが、正しいと思わせてはいけない。反対意見も、等しく紹介すべきだ。
メディアの流すニュースだけが正しいのかどうか、メディアが、どういうつもりで、そのニュースを取上げているのか、わかりにくい賛成や反対の意見が正しいのかどうか、私たちは、見極める目を養う必要がある。そして、その上で、自分の意見を構築していく必要がある。
久保秀美