タクシーに乗ると「お客さんの仕事あてましょか、ヘルパーさんでしょ。」と時々言われる。そんなオーラがあるのだなぁ、生活感あふれているのだろうなぁ、と納得し少しガッカリする。続けてタクシー運転手さんは「大変やねぇ、ぼくら、ようやらんわ」的なコメントを言う。私は気分によって「そんなことないですよ〜」と言ったり「そうですねぇ大変ですよ」と言ったりする。介護=大変というイメージが世の中では共通しているようだ。介護業界の人気のなさを憂いている私は「何でだろ〜」と考える。先日気が付いたのだが、大変というのは下の世話のことだった・・毎日、あっちこっちで介護を日がな一日している私は、下の世話にすっかり慣れてしまい一般の感覚を忘れていたのだ。
介護ボランティアをはじめた17年前のことをボンヤリ思い出す。どちらかと言えば潔癖性の母親に育てられた私は、とても繊細であった。臭いが気になり、食欲がなくなったものだった。今の私からは信じられないかもしれない。が、すごく順応性がある私は直、慣れ食欲は復活する。が、介護を仕事とするようになるとまた壁にぶちあたる。毎日毎日他人のお下と向き合うことに抵抗があった。ストレスだった。が、直慣れた・・。今はこのストレスだいたい忘れている。でもこの境地(そんな大層なものではないか)に到るまで結構時間はかかったなぁ。
おしっこもウンチも絶対みんなする。しないヤツがいるならでてこ〜いと思うが他人のウンチなど下のことは究極のプライバシーであり秘めた臭いもの、蓋するものである。どんなに慣れあった障害者と介護者でもトイレが近い日はお互いテンションが下がっている気がする。
(障)「またトイレに行きたくなっちゃった、嫌だなあ、我慢したいけど・・うーんやっぱ無理」
(介)「またトイレ〜今日はどうしたんだろ、冷えたのかな、仕方ないよね、ドンマイドンマイ・・」
と、いう感じだろーか。
このテンションの下がった空気は多かれ少なかれある。もちろん少ない方が質の高い介護だ。がんこ寿司のように「トイレ」と言われたら「ハイ喜んでぇ」と言うことにしたらテンション下げ防止になるだろうか・・
介護をしていて生活のやり方、コミュニケーションのとり方、価値感、人それぞれ、それぞれ対応するのは難しく、おもしろい。でもウンチおしっこソノモノに関しては、「あ〜びっくりこいた」ということはない。ほとんど同じだ。食事が違う外国の方だと臭いとかだいぶ違うのかしらん・・。
ロシアのある村で自給自足の豊かな野菜づくりについて本を読んだ。肥料は家族のウンチだ。昔は当たり前だった、環境にやさしい形。「オープンウンチ&おしっこ」、「ポジィティブ下の世話」が、今の日本にとって結構大きな問題解決につながらないかしら?どうでしょ。
さんじょう