自宅の整理整頓ができず、物が散らかり放題になっている。
掃除が嫌いなので、汚い、汚い。お正月に親戚の家に行った際、とてもきれいに整理整頓、掃除された部屋を見て、改めて「ない」のが美しい、ということを感じた。どんなに少なくても「あれば」汚い。なくしていこう。
「断捨離」だそうで、不要品を捨てなければならない。2009年に、母が亡くなり、今の家に引っ越した際、母の使っていたものを、かなり捨てた。大きなものは、足踏みミシン、オルガン、餅つき臼と杵、火鉢など。(今となっては、置いといたら良かったのか、と思うような…。)
しかし、ざっと5000冊になると思われる、父の蔵書がある。文庫のミステリー小説や、新書や、ハードカバーの歴史物、時代小説、時事問題もの、古くて価値のありそうな哲学書、俳句・季寄せ(俳句の季語が絵や写真で載っている書物)、謡曲、その他もろもろ。雑誌は、かなり捨てた。(岩波書店、講談社、集英社、新潮社、角川書店等の各出版社が出している自社の機関紙。本屋などでは売ってないと思う。父は、定期購読していて、それを受け取るために、郵便受けを大きくした。そのために、今は、郵便受けが大きすぎて…。)
雑誌は捨てたが、まだまだ倉庫は本だらけ。居間も応接間も2階の書斎も。本棚に立てるだけで足りず、本棚の上に本が積んであり、木箱やダンボールにもギュウギュウ摘め。以前、整理したろ、と書架を買おうとしたり、書名一覧を作成しようとしたりしたが、今は断念。その上、自分自身の蔵書も増えてきた。全然整理できず。広い家で、狭く生活している。
もともと、整理、掃除が好きじゃなく、また、市民活動の集会チラシ、報告書、ミーティングの記録、読みたい本、雑誌…。あるのに、また、買う…
つまり、これらを断捨離すべき、ということね。
きっと、断捨離すべきは、「モノ」だけではなく、情報そのもの。情報の断捨離?! やたらと見ない。読まない。聞かない。
先日、「目に毒だから、おいしい物や、欲しい物を売ってる店を、見ないようにしなきゃ。」という会話があり、「それそれ」。見ない。読まない。聞かない!
でも、集団的自衛権だし、安保関連法案だし、飛行機は落ちるし、ピケティだし、クラウドファンディングだし…。知りたいことは、まだまだある。どうしよう?!
久保秀美