こんにちは。サポネアンバサダーの高木です。
2月18日(土)、「障害」児・者の生活と進路を考える会主催、第10回子育て・教育講演会“ついに実現!野田聖子さん&長内繁樹さん”に参加しました。
パネラーの野田聖子さんが遅れて来られたため、先に1978年当時の豊中の「ともに学ぶ教育」を記録した映画「たとえば障害児教育」の上映がありました。
その後、第1部として、コーディネーターの玉木幸則さんの進行で、この4月に新しくできる「こども家庭庁」の初代長官となる野田聖子さんと豊中市長の長内繁樹さんの対談がありました。
最初に、玉木さんが、豊中の「ともに学び、ともに育つ保育・教育」をどう思っていますかと聞きました。野田さんは、初めて豊中の「ともに学び、ともに育つ保育・教育」を知った時に、日本で障害のある子どもが地域の学校に通って普通に同級生と一緒に学んだり、遊んだりしていることが、まるで違う国を訪ねたような感じがして驚いた、とおっしゃっていました。豊中市長は、自分も豊中に生まれ育ってきたから障害を持った人と一緒に学校生活を過ごすことが特別なことだと思っていなかった、とおっしゃっていました。
日本では、なかなかインクルーシブ教育が進まない原因は何だと思いますか、という問いに、野田さんは、日本人はそもそも寛容な人達じゃないから、いろんな法律を作って守ってもらうしかない、と答えられました。豊中市長は、子育てを安心してできる社会をつくっていきたいとおっしゃっていました。
いわゆる4.27文科省通知(特別支援学級在籍児童生徒は週の授業時間数の半分以上を特別支援学級で学ぶよう記載されている)について、どう思っていますかという質問には、野田さんは、本来は豊中市のように全ての子どもたちが一緒に学ぶことが一番なのはわかっているが、予算が限られているため、今の日本では取り出して教育する方法が安くなるとの答えでした。豊中市長は、豊中の「ともに学び、ともに育つ保育・教育」が否定されたように感じた、とおっしゃっていました。
日本は少子高齢社会の中で、これからますます子どもが大切になっていくと思いますが、子どもに対する支援はどのようにしていきたいですか、という質問に、野田さんは、障害の有無にかかわらず、全ての子どもが社会の中でいろんな居場所があるようにしていきたいとおっしゃっていました。豊中市長は、学校が長期休暇に入った時に医療的ケアが必要な児童の看護師さんが市民病院に働けるようにして収入を守りたい、とおっしゃっていました。
第2部は、豊中の「ともに学び、ともに育つ保育・教育」のはじまりについて、パネラーに、豊中市教育長の岩元義継さん、元豊中市・大阪府教職員組合委員長の田渕直さん、「障害」児・者の生活を進路を考える会代表の鈴木留美子さんを迎えて、パネルディスカッションが行われました。豊中の「ともに学び、ともに育つ保育・教育」は、部落解放運動がきっかけに障害があっても地域の学校に行く権利があると呼びかけたことが始まりで、人権の問題であるとおっしゃっていました。
国連の障害者権利委員会副委員長のヨナス・ラスカスさんも、日本では分離した形で教育が行われ、インクルーシブ教育が否定されていることがあり、相模原の殺傷事件も単なる悲劇的な出来事ではなく1つの兆候ではないか、インクルーシブ教育はともに生きる社会に繋がる、とおっしゃっています。豊中の「ともに学び、ともに育つ保育・教育」を日本全国に広めていきたいと改めて思いました。
山口正和さんの提案で、僕も壇上に上がることになりました(笑)
サポネアンバサダー 髙木 智志