前回、燕のことを書いて、3ヶ月が過ぎた。
あの駅舎に架けた巣から、燕は、すべて巣立って行った。多分、2度の子育てを経て。
初めの子たちも、二度目の子たちも、多分、元気で巣立って行ったことだろう。
鳥は、子育ての間だけ、巣が必要。人間のように、常時、家があるわけではない。
子どもが巣立てば、普段のねぐらは、大きな木とか、岩場とか、電線とかで、集団生活をする者は、そこで、集団で寝る。
なので、雨の日などに、道で、燕が、低く飛びながら、虫を摂っているのを、見かけることはあっても、駅舎の巣では、見かけない。元気で巣立っただろうが、見えないのは、淋しい。
そして、母も旅立って逝った。6月の、うっとうしい暑さが、じとっとした日。
94歳で元気だったが、体内では弱っていたのだろう。3、4日の間の急変だった。
今や、秋の気配、燕は、そろって、南の地に旅立つ頃。遠く、中国やマレーシアまで。
母が亡くなって、宝塚の家が空いたので、私は、そちらに引っ越すことになった。私も、一種の出発。忙しいが…
澄んだ秋空、涼しい風、しんとした夕方などは、やたらと淋しい。
久保秀美