「五月雨を あつめて早し 最上川」と詠んだ芭蕉の時代から時は過ぎ、地球の気候変動はいよいよ顕著になってきているようです。熱帯のような激しい雨が日常の風景になりつつある今日この頃みなさんいかがお過ごしでしょうか。
先日、サポネが加盟している障大連(障害者の自立と完全参加を目指す大阪連絡会議)の大阪府との交渉に参加してきました。介護、グループホーム、労働、教育など多分野の府の施策について障害者の立場に立った改善要求をしました。しかし、というか相変わらず回答は「できない」「検討してまいりたい」やこちらの要求に反論する論拠が乏しくなると「予算が厳しく…」という答えばかりです。しかし当然こちらもそれで納得できるわけはありません。最大限譲歩しつつ、予算と関係ない、ガイドヘルパー利用の行動制限問題や通訳介助者の利用制限など不当な人権問題であり、日常生活に支障をきたす項目については継続協議の場を設けることを約束し、また市町村についても府として人権問題の観点から不当な制限を設けないよう通達する約束をとりつけました。改善されていくかしっかり注視していかなければなりません。また「施設から地域に」「ともに学び、ともに育つ」大阪の教育方針は変わりないといいつつ、今後特別支援学校(旧養護学校)が4校も新設されます。府教委は「あくまで選択肢である」と弁解していますが、当事者の親から次ぎのような発言がありました。「何も知らない弱い立場の本人や親が学校や教育委員会という組織からどちらにするかと迫られるとすごく迷うし、支援学校に行くのが当たり前と思っている教師が多く、無言の圧力がかかっている」そのとおりだと思います。基本はみんな普通校で「ともに学び、ともに育つ」原点に立ち返るべきです。
さて今年の夏を締めくくる一大イベントは選挙になりました。各党のマニフェスト(案)が出揃っていますが、総花的印象が強く比較が難しいのはどこもが「これまでの市場原理主義政策を見直し(小泉・竹中路線からの脱却)、社会保障(セーフティーネット)の充実」を謳っているところです。しかし表面上の問題解決を図るだけではこれまでと何も変わらず破綻の道に進むのは誰もが気づいていると思います。本当にこれまでの価値観を変えるところにある社会まで行き着くかが問われています。
最後にまた本の紹介で恥ずかしいですが、この国の「これまで」と「これから」を読む解くためにとても良い本です。どちらもそれぞれの立場から最前線で戦っている人々の言葉です。
一つは「差別と日本人」(角川書店)
自民党元幹事長の野中広務と人材育成コンサルタントの辛淑玉の対談。被差別部落出身として権力の頂上まで上りつめた野中と在日問題を通して構造的弱者の問題に鋭く迫ってきた辛の魂のぶつかり合いともいえる内容は迫力十分でありながら、お互い共通の敵とも戦ってきた波紋が共鳴しあう不思議な対談です。最後にそれぞれの家族に差別が及びながらも戦ってきた、しかし勝ちきれなかった、そして守りきれなかった葛藤や無念を抱えながら、それでも尚、差別と戦うことをやめない姿勢に胸が熱くなります。
もう一つは「世代間連帯」(岩波新書)
「おひとりさまの老後」(法研)の著者で社会学者の上野千鶴子と(前)衆議院議員辻元清美の対談。世代間の対立が煽られている今、おひとりさまの老後は団塊世代だけのものではないのか。ロスジェネ世代は年金ももらえず、負担ばかりではないのか。という疑問を入り口に、格差・貧困・介護・医療・子育て・教育・労働問題を次々に切りながら、それが全てつながっていることを見事にあぶりだしています。そしてそれらの具体的な解決策、社会の目指すべき方向が「分断から連帯へ」と分かりやすく述べられています。特に女性問題(ジェンダー)について違和感や「なんとなく苦手」な感覚をもっている人にこそ読んでほしい一冊です。
幸か不幸か、経済がどん底に落ちた今「市場原理主義からの脱却」が謳われていますが、多くの市民は前から気づいているはずです。ずっと競争なんてしたくない。ほどほどの人らしい生活ができればいい。一人ひとり違う生き方を認め合って、そしてお互いに支えあう穏やかな社会を目指す。そのことのみが幸せな安心して暮らせる社会であることを。
中村一義の歌が聞こえてくる。『いろんな物語が生まれ、死んだ、この街で、「希望ってなんだ?」って訊かれりゃ、今、君と僕。』
今日もサポネ日記をみてくれてありがとうございます。
眠り猫