こんにちは。サポネアンバサダーの高木です。
12月6日(日)に、豊中市立文化芸術センターで行われた『第8回子育て・教育講演会 ~いま、ふたたび問う~豊中のともに学び、ともに育つ保育・教育はホンモノか?』(「障害」児・者の生活と進路を考える会主催)に行きました!
今回は、元大阪市立大学教員で現インクルーシブ(共生)教育研究所代表の堀智晴さんがコーディネーターとして参加して、豊中の保育所・こども園で「障害」のある子どもたちとともに学びともに育ってきた職員と保護者がパネラーとして登壇しました。
1人目の登壇者は、現在子どもが公立のこども園に通っている父親でした。脳性麻痺で歩けなくて普段の生活でハイハイをしている子どもに合わせて、運動会でみんながハイハイで競争して、子どもたちが自然とその子の周りに集まっている様子を見て感激したというエピソードを話してくださいました。
2人目は、40年以上前に初めて地域の保育所に障害のある子どもを預けた母親で、地域の保育所に子どもを預けるようになったいきさつを話してくださいました。居場所づくりをしていた大学生に薦められたのがきっかけでしたが、いろんな人と繋がることで勇気づけられたとおっしゃっていたのが心に染みました。
3人目は、40年以上前に初めて障害のある子どもを預かった保育士さんでした。はじめの頃は、障害のある子どもを預かる責任と不安でいっぱいだったけれど、ある時、その子をじっくりと観察していたら他の子どもと変わらないことに気づいて、その時から保育の楽しさが生まれて、長い間、続けてこられたという話をされました。
その後で、コーディネーターの堀さんから、豊中市では、長年、障害がある子どもたちも地域の保育所に入って、ともに育ってきた歴史があるが、昨年の9月に、「障害児などで特に集団保育が必要な場合」という要件を廃止すると決めたので、来年度から、障害がある子どもが地域の保育所やこども園に通うことが制限され、「ともに育つ」教育が後退する恐れがあるという話がありました。
40年以上前から、豊中では、障害があっても地域の保育所、小学校で「ともに学び、ともに育つ」保育・教育を進めてきました。その取り組みは、2006年に国連で採択され、2014年に日本も批准した障害者権利条約の基本理念に合致しています。
僕は、豊中の「ともに学び、ともに育つ」保育・教育の下で育ってきました。友達とたくさんの時間を過ごす中で、気づかないうちに、教科書では学べない学びやいろんな感情をもつことができました。これからの子どもたちも、そうした経験を積み上げて欲しいと思います。障害のあるなしにかかわらず、みんながお互いを認め合い、影響しながら、「ともに」生きていける社会を、みんなと一緒に作っていきたいと思っています。