訃報をお伝えしなければなりません。
2013年7月24日、涙雨の降る朝に、
入部香代子さんが永眠されました。
享年62歳。
障害者自立生活運動の先頭を走ってこられ、
豊中市議を4期16年務められ、
退任後は当法人の相談役を引き受けて頂きました。
昨日の告別式では豊中市長やたくさんの議員の方々、そして全国で障害者運動を担っておられる方々やその後輩の方々、そしてたくさんのご友人たちに見送られ旅立たれました。
23年前に山上が入部香代子さんの介護に関わったことが、サポネの原点です。
ここでは、山上が読んだ弔辞を紹介いたします。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
そして、サポネを育てて頂き、ありがとうございました。
サポネスタッフ一同
弔辞
私は、毎日24時間交代制で入部香代子さんの介護をしてきたNPO法人サポートネットワーク事務局長の山上隆子です。
サポートネットワークが事業所になって11年ですが、私が香代子さんの介護をしてきたのは23年前、学生の時からです。誰よりも香代子さんと夜の時間をすごしてきてしまいました。
香代子さんが24時間介護を受けての生活を始めたのは正也さん出産時ですから、34年前になります。たくさんの人が香代子さんの介護をして、通りすぎていき、つながっていきました。千人はゆうに超えていると思います。
千人以上の人が香代子さんの口に食事をはこび、トイレの後にお尻を拭き、はだかになって体を洗い、着替えをして、たばこをふかせてきました。器用な人もいれば不器用な人もいました。
そんなにたくさんの人に介護を受けていたら、どうでもよくなりそうですが、香代子さんは介護者に時には厳しく、めちゃくちゃイラつきながら、硬直をきつくさせながら介護者に尻の拭き方、髪のセットの仕方を説明していました。本当に介護者泣かせでした。夜は寝ないし、食事のメニューはなかなか決めてくれないし、髪型はその時の流行に合わせて、編み込みをしたり、カラーを巻いたり、複雑なことばかり。
自分のやりたいことをどんな困難があってもやり通す。障害者主体を実践していました。
小さな日常生活の事柄から、母として、障害者運動の担い手として、議員として、すべてのことを介護者とともに、香代子さんは自分のこだわりを通してきました。
死が近くなって、腹水がたまっても、トイレを失敗しながらも、外へ出ていきました。ベッドで過ごすことばかりになった1ヶ月ほども、あきらめずいろんなことを伝えて、でも言葉が出にくくなっていたので、伝わらず、イライラしながら「ちゃうねん、なんでやねん」を繰り返していました。最後まで、自分らしく生きることにこだわっていました。
お元気なときは、いろんな市民の方から相談を受けます。「死にたい」「殺されるもうだめ」といったどうしようもない状況の電話の時も、介護者をかけつけさせたり、ご自分も助けにいったり、対応されていました。
私は香代子さんを通して社会に街に困った状況で支援が必要な人がたくさんいることを知りました。何年も風呂に入っていない障害者、借金まみれの方、家族が皆精神的に病んでいくお家。介護を受けながら、その人たちの悩みや状況を聞き、役所に支援が必要なことを訴え、支援体制をつくってこられました。介護者が「無理」と思うことも実行されました。本当に介護者泣かせでした。
議員、政治の世界も香代子さんの介護を通して垣間見ることができました。議員さんや市職員と時には真剣に話し合い、時には怒って訴え、ある時はハッタリを言い、ハラハラしながらみている時もありました。ハッタリを言ってても、脳性マヒによる硬直をきつくさせながら口から出る言葉はなぜか重みがあり、説得力があるのはちょっとおかしかったです。
香代子さんは政治家だな、と思いました。
23年介護をしてきて、もちろん香代子さんの全てを私は知りません。今も、私のことばを「ちゃうねん」とイライラしながら、上からみてはるような気がします。
香代子さんの介護をたくさんたくさんしてきて、私は人と人が支えあいながら、自己主張しながら生きていくことの難しさ、大変さを教えてもらいました。
だいたいの人は、一人では生きていけない。なぜなら人生にはいろんな困難がおき、一人では対処できないからです。
介護をしながら香代子さんの困難をみてきました。離婚、子育てしながらの仕事、退職してからの身のふり方。そして病、そして死にむかうこと。
頼りない私が、介護派遣事業所の責任者をやってこれたのは、香代子さんの介護を通してたくさんたくさん経験させてもらったからです。ありがとうございます。
不死身といわれた香代子さんは100まで生きたいと仰っていたので、私は香代子さんの死を体験できないと思っていました、「私の方が先に死んでしまうわ」と思っていましたが、香代子さんの死を体験できてしまいました。
死の数時間前、香代子さんと二人っきりになったとき、「いろいろ経験させてもらってありがとうございます」とお礼を言いました。反応がなくなりつつありましたが、その時は大きく目を見開いて何か仰いましたが、わかりませんでした。「まだ死ねへんで」なのか「なんでやねん」なのか、わかりませんでした。でも何かの思いを受け取れたので、わからなくてもよいと思っています。
わからないながら相手をわかろうとすること、そして支援すること、介護すること、支えあうことを、これからも私は実践していきたいと思っています。
香代子さん、間違っていたら「なんでやねん」と教えてください。
よろしくお願いします。
大変ご無沙汰しております。
上の弔辞は、生の声で聞きたかった内容です。
入部さんが天国から何を言っているかはわかりませんが、山上さんにとって、新しい人生のステップが始まるのだなと感じました。
しかもその新しいステップは、色濃く入部さんの色合いを宿したステップなのでありましょう。
入部さんは、それを見るのを楽しみにしているのかもしれません。
わたしも、その一歩を楽しみにしております。